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#0 History of Jamaica "The country of Jamaica"

更新日:2023年6月5日

皆さんはレゲエという音楽が誕生したジャマイカという国をご存知でしょうか?


ジャマイカは中央アメリカのカリブ海にある日本の秋田県とほぼ同じ面積の島国で、現在の人口は296.1万人ほど(2020年調べ)で、首都はキングストンにあります。

今回はそのレゲエを生んだ国ジャマイカについてまとめてみました。


元々のジャマイカはアラワク族のタイノ人やカリブ人が住んでいた島国だったようです。

コロンブスのアメリカ大陸発見の頃(1494年頃)にジャマイカ島が発見され、スペインに統治されるようになり、アラワク族はサトウキビ農園で酷使された為ほぼ絶滅してしまい、代わりに労働力として連れて来られたのが西アフリカの黒人の人々で、奴隷として扱われていたんだそうです。


その後1964年にイギリス海軍がジャマイカに侵攻し、それ以後はイギリスが統治するようになり、1670年にマドリード条約によって正式にイギリス領となります。

イギリス統治時代には黒人奴隷や逃亡黒人などの叛乱(マルーン戦争など)がたびたび起こり、1883年に奴隷制度廃止法案がついに成立します。


そして1959年にイギリスから自治権を獲得し、1962年の8月6日についに念願の独立を果たします。この独立はカリブ海のイギリス領の国の中では、一番初めの独立だったそうです。


あのBob Marley & The Wailers(ボブ・マーリー・アンド・ザ・ウェイラーズ)の曲「No Woman No Cry(ノー・ウーマン・ノー・クライ)」をご存知でしょうか?

その歌詞の中に「トレンチタウンの政府の庭(公邸)で、ジョージ―が火を焚いてコーンミール粥を作った」という歌詞がありますが、その光景の描写はジャマイカの独立で歓喜した人々が公邸に集まった時の様子ではないかと思われます。


Bob Marleyは1945年2月生まれなので、そのジャマイカ独立の時は17歳の少年ぐらいの年齢で、その多感な時期からの恋人に別れを告げて旅立ちを宣言した歌のようです。

この歌はメロディ・ラインが美しいのでラヴ・ソングと思われがちですが、実はラヴ・ソングというよりは、大志を抱いての「旅立ちの歌」という色合いの強い曲なんですね。

サビの「Everything's gonna be all right!(すべてうまく行くさ!)」というフレーズの繰り返しには、Bob Marleyの絶対に成功してやるという強い気持ちが表れています。

そしてその言葉通りに彼Bob Marleyは、ジャマイカで一番有名な人物にまで登り詰める事になります。


ジャマイカの独立以降の政治は中道右派のジャマイカ労働党(JLP)と、中道左派の人民国家党(PNP)が、2大政党として政権を取り合っているそうです。


独立当時のジャマイカはまだ観光とサトウキビの生産などが中心の国で、一部の裕福な白人層が支配し、奴隷から解放された多くの黒人層は貧しい暮らしを強いられる国だったようです。


そうした黒人層の人々の安らぎとなったのが音楽で、50年代には辛い労働を和らげる労働歌のメントが流行し、60年代になると野外ダンスホールの「サウンド・システム」から生まれた音楽のスカが流行します。


このスカはアメリカのR&Bやブルースに影響を受けた音楽でしたが、スカの流行と共に多くの音楽がジャマイカで作られるようになります。


やがてスカはイギリスに輸出されるようになり、輸出されたレーベルBlue Beatの名前から「ブルー・ビート」の名称でイギリスの若者(特に不良少年)の間で人気の音楽となります。そうしたイギリスへの輸出に成功した事などをきっかけに、ジャマイカでは60年代頃から徐々に音楽産業が盛んになって来るんですね、


その後ジャマイカの音楽はスカからロックステディ、ルーツ・レゲエと発展し、ジャマイカの音楽界も自前のスタジオを持ち、人気アーティストも多く輩出するようになって来ます。

そしてBob Marley & The WailersJimmy Cliff(ジミー・クリフ)、Toots & The Maytals(トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ)など国際的に活躍するアーティストも出て来るようになり、70年半ばには初めて第3世界から成功した、世界的音楽レゲエとしてついに認められるようになるんですね。


この成功によりジャマイカの音楽界はさらに大きな市場を手に入れ、音楽産業はさらに発展して行きます。


またジャマイカの政治は中道右派のジャマイカ労働党(JLP)と中道左派の人民国家党(PNP)が政権を取り合っていますが、一説にはこの2つの政党のどちらが政権を執ったかは、ジャマイカの音楽の傾向に影響を与えているという説もあります。

70年代には人々の平等を歌ったプロテスト・ソング色の強いルーツ・レゲエが流行しましたが、その時に政権を執っていたのはMichael Manley(マイケル・マンリー)が率いる人民国家党(PNP)で、80年代に入るとラヴ・ソングやスラックネス(下ネタ)などの快楽的なダンスホール・レゲエが流行しますが、その時に政権を執っていたのは自由主義的な政策をとるEdward Seagaエドワード・シアガ)が率いるジャマイカ労働党(JLP)だったんだそうです。


また90年代にルーツ・レゲエの人気は再び復活しますが、その頃に政権を執った政党はPNPだったそうで、政治と音楽の傾向には相関関係があるという説があります。70年代当時のジャマイカはPNPとJLPの支持者の間で銃撃戦が起きる事があるほど、まだ荒れた国だったと言われています。


この70年代中頃に人気が世界的にブレイクしたBob Marleyは、貧しい人々の為に自宅を開放するなどオープンな暮らしをしていましたが、マイケル・マンリーのPNPの支持者だと思われた彼は、JLPの支持者と思われる集団に自宅で襲われ、暗殺されかけた事があります。

この襲撃でBob Marleyの妻Ritaとマネージャーは重傷を負いましたが、Bob Marleyも心臓の下の胸骨をかすめて左腕を撃ち抜かれたものの、奇跡的に一命をとりとめました。

そして数日後に行われた「スマイル・ジャマイカ・コンサート」で、Bob Marleyは傷を負った体でステージに上がり、コンサートを観に来ていたPNPのマイケル・マンリーとJLPのエドワード・シアガをステージに上げ、2人に握手をさせることに成功させるんですね。

これが有名な「スマイル・ジャマイカ・コンサート」で、この伝説的な出来事は1976年12月5日の事でした。


今でもBob Marleyがジャマイカの英雄として讃えられるのは、実際に彼が命を懸けて人々の為に行動した事実があるからなんですね。


またロックステディの時代の曲でKeith & Tex(キース・アンド・テックス)の「Stop That Train(ストップ・ザット・トレイン)」という曲をご存知でしょうか?

この曲はThe Wailers時代のPeter Tosh(ピーター・トッシュ)や、80年代にUKで活躍したClint Eastwood & General Saint(クリント・イーストウッド・アンド・ゼネラル・セイント)達にもカヴァーされてヒットした事でも知られる名曲です。

この曲は「彼女を乗せたあの列車を止めてくれ」という歌詞のように、自分を置いて街へ出て行く彼女を追いかける男の心情が歌われたラヴ・ソングですが、実はジャマイカにも昔は鉄道があったんですね。


ネットのWikipediaに「キングストン駅」という記事があり「1845年に開業し、1992年に閉鎖」と書かれているので、その頃ぐらいまでは鉄道が動いていたようです。

首都のあるキングストンから観光都市のモンテゴ・ベイまで結ぶ鉄道だったようです。

88年のハリケーンで線路が壊れたのが原因という書き込みなどもあり、鉄道は廃線になり現在まで復活していないようです。

Keith & Texの歌にあるように、都会のキングストンに出る為の足として使われていたのでしょうか。現在のジャマイカは完全な車社会となっているようです。


また70年代は政党の支持者同士で銃撃戦が起きるほど荒れた国だったと書きましたが、ジャマイカはアメリカのような銃社会で、これまでにもKing Tubby(キング・タビー)やPeter ToshHugh Mundell(ヒュー・マンデル)、Nitty Gritty(ニッティー・グリッティー)など多くの有名なアーティストが、銃殺されて命を落としています。

その大きな要因のひとつはやはり貧富の格差の大きさで、貧しく生まれた若者には今もギャングになるしか道が無い人も多く居るようです。

今活躍しているPopcaan(ポップカーン)やAlkaline(アルカライン)、Jafrass(ジャフラス)などのジャマイカのダンスホール・レゲエのアーティストのYouTubeのヴィデオを観ていると、まるでギャングのボスのように成りあがった自分の姿を描いたシーンがあるけれど、それはジャマイカの若者にとっての出来れば自分がなりたい「リアルな現実」なのかもしれません。

ジャマイカには陽光に恵まれた「南の楽園」とは別の、「闇の世界」が同時に存在します。

ダンスホール・レゲエの人気は、そうした大きな希望の持てない若者たちの共感によって支えられています。


また北京で行われた冬季オリンピックではフィギュアの女子選手のドーピング問題が話題になりましたが、1988年のソウル・オリンピックで9秒79という驚異的な記録を出しながら薬物違反で失格になった、カナダ代表のBen Johnson(ベン・ジョンソン)という選手を覚えているでしょうか?実はこのBen Johnsonはジャマイカ出身の選手なんですね。


このBen Johnsonの他にも、1992年のバルセロナ・オリンピックの100mイギリス代表の金メダリストのLinford Christie(リンフォード・クリスティ)や、1996年のアトランタ・オリンピック100mのカナダ代表の金メダリストのDonovan Bailey(ドノバン・ベイリー)も、ジャマイカ出身ですが他国籍でメダルを獲った選手です。

才能のある選手の他国への人材流出で、3つぐらい自国にメダルが取れた可能性を逃しているんですね。


そうした失敗を経てようやくジャマイカの陸上選手として世界的に大活躍をしたのが、Usain Bolt(ウサイン・ボルト)です。彼は2008年の北京オリンピック、2012年のロンドン・オリンピック、2016年のリオデジャネイロ・オリンピックと、3つのオリンピックで8個の金メダルと世界選手権で驚異的な成績を残しています。以前はジャマイカというとレゲエの国というイメージでしたが、陸上王国というイメージも付加したのは彼、Usain Boltの大きな功績です。


ちなみにUsain Boltのお気に入りのアーティストはElephant Man(エレファント・マン)のようで、北京オリンピックで彼が勝った時にElephant Manのダンスホール・アンセム「Nuh Linga(ナー・リンガ)」のダンスを踊ったのは有名なエピソードです。


以上がカリブ海に浮かぶ秋田県ほどの島国ジャマイカについてでした。

元はイギリスの植民地で始まって、独立して観光で外貨を稼ぐ貧しい国でしたが、自国の音楽レゲエが世界的に有名な音楽となり、スポーツの世界でも陸上大国となった国、それがジャマイカという国です。


そのように今は世界中の多くの人が知る国となったのは、元は遠くアフリカから連れて来られた、人口の92%を占める黒人層の人達でした。

元々は黒人奴隷として遠いジャマイカまで連れて来られた彼らでしたが、音楽の世界ではレゲエという独特の音楽を作り上げ、陸上では身体能力を活かした短距離の世界で大活躍をしています。


そうした小さな島国ジャマイカの人達の努力に、私達は敬意を払い、見習うべきものがあると思います。



Text Supported by teckiu


 

Upsetters® “The Product First” Tokyo Japan


2020年より世界のアナログレコード愛好家に向け、王冠をアイデンティティに持つユニークな”Product Art”(機能するアート作品)を発信。


アナログレコードのRe:ムーブメントをテーマに7inch/45回転レコードをフィーチャーし、一つ一つハンドメイドで製作された唯一無二のプロダクトアート作品。FounderであるJET氏が愛するJamaica音楽文化がコレクションに散りばめられた、"the Product First" 造形製品(作品)から開始される次世代へ向けたMade in Japan唯一無二のオリジナルブランド” Upsetters® ”はアイデンティティとして王冠を持つ。


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"New era Dancehall riddim track works LAB."


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