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執筆者の写真Upsetters®︎

#2 History of Jamaica"Reggae sound system"

更新日:2023年6月5日

皆さんはサウンド・システムを知っているでしょうか?


サウンド・システムはジャマイカで始まった、巨大なスピーカーを設置してレコードをかけ、聴衆はダンスなどを楽しむ野外イヴェントです。略して「サウンド」とも呼ばれます。

時にサウンド・システム同士の対決サウンド・クラッシュなども行われ、今では世界大会も行われるなど、ダンスホール・ファンには人気のイベントとなっています。


サウンド・システムはジャマイカで1940年代に始まったと言われています。


元々野外でジャマイカの民族音楽メントをを演奏するイヴェントは行われていました。

ただミュージシャンを集めて行われるイベントは、ミュージシャンにカリー・ゴート(山羊カレー)や酒などをふるまわねばならず非常にコストがかかった事や、メントは田舎では人気の音楽でしたがキングストンなどの都会に暮らす人達にはアメリカ音楽への憧れが強く、リズム・アンド・ブルースブギウギなどの方が人気があった事など、いくつかの課題がありました。


そこで酒屋やバーの経営者などがストリートにスピーカーなどを持ち出して、アメリカのリズム・アンド・ブルースなどかけたのがサウンド・システムの始まりだと言われています。

初期のサウンド・システムのセットはかなり基本的で、レコード・プレイヤーと真空管のアンプ、大音量の出るスピーカー1組だったと言われています。


50年代頃には衣装棚ほどの巨大なスピーカー「ハウス・オブ・ジョイ」が登場するなどセットも大掛かりになり、曲の合間にMCをするCount Machuki(カウント・マチューキ)などのディージェイが登場するなど、サウンド・システムはジャマイカの人々の娯楽としてさらに盛んになり定着して行きます。


最初期に活動したサウンド・システムとして知られているのはTom The Great Sebastian(トム・ザ・グレート・セバスチャン)※発明家であるHedley Jones(ヘドリー・ジョーンズ)がTom The Great SebastianのTom Wong の為に、初期のサウンド システムの構築したと言われています。、Waldron(ウォルドロン)、Count Nick The Champ(カウント・ニック・ザ・チャンプ)、Goodies(グディーズ)などです。


このサウンド・システムのディージェイは当初は「曲の前」にしゃべりで聴衆を盛り上げる「盛り上げ係」のような存在でしたが、その後60年代の後半に「曲の中」でしゃべるトースティングという技法を開発したU-Roy(ユー・ロイ)というディージェイが登場します。

そしてディージェイという職業は歌手と同等に歌の中でしゃべるディージェイと、サウンド・システムでしゃべりで観客を盛り上げるMCやセレクターへと分化して行きます。


またこのジャマイカのサウンド・システム文化は、50年代にはすでにイギリスに持ち込まれていたようです。


レゲエを解説した「The Rough Guide To Reggae(ラフガイド・トゥ・レゲエ)」という本にはDuke Vin(デューク・ヴィン)という人物が1955年にイギリスでサウンド・システムを始めたという記述があります。当時のジャマイカはイギリス領でイギリスに移住する人が多く、そうした移住者の娯楽としてイギリスでも定着して行ったようです。

こうした海外へ移住したジャマイカ人などによって、サウンド・システムは早い時期から海外に広がって行ったようです。


そうしたジャマイカで人気の娯楽となって行ったサウンド・システムで、特に人気を博したザ・ビッグ・スリーと呼ばれた3つのサウンド・システムがあります。


1つはのちにTreasure Isle(トレジャー・アイル)レーベルを作るDuke Reid(デューク・リード)のサウンド・システムThe Trojan(ザ・トロージャン)です。元警察官で酒場のオーナーであった彼は腰に2丁拳銃をブラ下げたスタイルで、非常に攻撃的でバッドマンたちに人気がありました。


もう1つはのちにStudio OneレーベルのオーナーとなるCoxsone Dodd(コクソン・トッド:C.S. Dodd)のサウンド・システムCoxsone Downbeat(コクソン・ダウンビート)です。彼はアメリカに頻繁に買い付けに行き、良いジャズやブギ・ウギ、メレンゲのレコードを買い集めて、他のサウンド・システムとの対決でも相手を打ち負かす事に成功しました。

また、このCoxsone DownbeatではCount MachukiKing Stitt(キング・スティット)などの初期のディージェイが活躍しました。


3つ目はVincent King Edwards(ヴィンセント・キング・エドワーズ)のサウンド・システムKing Edwards The Giant(キング・エドワーズ・ザ・ジャイアント)です。


彼は珍しいアメリカの曲を集めた選曲で人気を集め、50年代後半から60年代前半に人気のサウンド・システムとして活躍しました。(彼はのちに人民国家党(PNP)から立候補し、国会議員となっています。)


その後50年代の終わり頃にこのザ・ビッグ・スリーを脅かす存在として台頭して来たのが、元ボクサーでCoxsone Doddの用心棒も務めたPrince Buster(プリンス・バスター)のサウンド・システムVoice Of The People(ヴォイス・オブ・ザ・ピープル)です。


Prince Busterは50年代後半からジャマイカで人気の音楽となったスカの歌手としても活躍し、スカを輸入したイギリスで「The King Of Blue Beat(キング・オブ・ブルー・ビート)」と呼ばれ、親衛隊が付くほどの人気の歌手となります。(スカはイギリスの輸入元のレーベルBlue Beatの名前から、ブルー・ビートとも呼ばれました。)


またサウンド・システムの競争の激化からたびたび銃撃戦が起きたりしています。またそうした競争の激化から、当時は輸入したリズム・アンド・ブルースなどのレコードの曲名を、他のサウンド・システムに知られない為に、曲のラベルを塗りつぶしたり、剥がしてレコードをかけていたようです。


このサウンド・システムの流行から、ジャマイカではサウンド・システムでよくかけられたリズム・アンド・ブルースの影響を受けた音楽Ska(スカ)が誕生します。


スカはアメリカのリズム・アンド・ブルースやブギ・ウギが進化した音楽でしたが、サウンド・システムでレコードをかける際によりリズムを重視した重低音が強調されたセッティングをしていた為に、よりタイトでドラムやベースが強調された音楽になったと言われています。


さらに音楽産業が盛んになった事もあり、ジャズ系のミュージシャンなども入り込んで来て、ジャズのブラス・バンドの形式もプラスされて行きます。そうしたスカの発展に伴ってジャマイカでもレコードの需要が生まれ、多くのジャマイカ産の音楽が作られるようになります。


その中心となったのはサウンド・システムThe Trojanを運営していたDuke ReidのレーベルTreasure Isleと、サウンド・システムCoxsone Downbeatを運営していたCoxsone Dodd(C.S Dodd)のレーベルStudio Oneでした。


この2つは2大レーベルとして70年代の半ばまで、ジャマイカの音楽界をけん引して行く事になります。そしてこのサウンド・システムの人気からジャマイカの音楽界は発展し、スカからロックステディ、そしてレゲエへと音楽自体も進化して行きます。


こうした自国の音楽の発展からジャマイカではその時代に合わせてスカやロックステディ、レゲエが、サウンド・システムでかけられるようになります。サウンド・システムではディージェイから分化した、音楽をセレクトするセレクターや、現場を盛り上げるMCの重要性が増して行きます。


その後レゲエは世界でも認められる音楽へとなって行きますが、興味深いのはその底辺に常に現場で聴かれる野外ディスコのサウンド・システムがあったという事です。ジャマイカの音楽は常に踊りの現場で聴かれ、人々に支持された音楽だけがダンス・ミュージックとして生き残り続けて来たんですね。


サウンド・クラッシュでの対決用に、特別にミックスしアセテート盤に焼き付けられた「ダブ・プレート」が作られるようになります。Upsetters®︎ではダブ・プレートスタジオとして有名なArrows Studioのデザインを起用した唯一無二"Special"なアイテムを販売しています。


ダブ・プレートは既発のレア・トラックに自分たちのサウンドシステムを賞賛する歌や言葉をかぶせた特注盤(スペシャルと呼ばれる)で、現在の世界大会などのサウンド・クラッシュではこうしたダブ・プレートで勝負するのが暗黙のルールとなっているようです。


ちなみにスペシャルなダブ・プレートを作成したのは、サウンド・システムのBass Odyssey(ベース・オデッセイ)とKillamanjaro(キラマンジェロ)が最初だと言われています。


またサウンド・システムで発展したディージェイのスタイルが「Rub A Dub Style(ラバダブ・スタイル)」です。


80年代前半のアーリー・ダンスホールの時代に流行したこのスタイルですが、ディージェイ同士が即興で掛け合いをするスタイルで、ダンスホールの現場を盛り上げるスタイルとして定着しました。こうしたディージェイの掛け合いスタイルをウリにしたサウンド・システムもあり、そうしたサウンド・システムは「Rub A Dub Set(ラバダブ・セット)」と呼ばれています。


その80年代に流行したラバダブ・セットのサウンド・システムとして知られているのは、ディージェイのU-Roy(ユー・ロイ)の主催するKing Stur Gav(キング・スター・ガフ)や、Killamanjaro、King Jammy(キング・ジャミー)の主催するKing Jammys(キング・ジャミーズ)などがよく知られています。


またこの80年代にジャマイカのレゲエは一気にデジタル化され、King Jammyを中心としたデジタル・レゲエの大ブームが起こります。


そのブームが起きるきっかけとなったのは当時Prince Jammy(プリンス・ジャミー)と名乗っていたKing JammyのプロデュースしたWayne Smith(ウエイン・スミス)の楽曲「Under Mi Sleng Teng(アンダー・ミ・スレン・テン)」でした。Wayne Smithは友人のミュージシャンNoel Davey(ノエル・デイヴィ―)から購入したカシオのキーボードのカシオトーンをいじっていて、偶然にそれまで聴いた事も無いデジタル感のあるフレーズを発見します。

※1985年レゲエ界に革命を起こしたリズム「Sleng Teng riddim」はカシオ開発者の開発者奥田広子さんが生み出した。


そのフレーズに歌を吹き込んだデモ・テープをプロデューサーのPrince Jammyの元に持ち込みますが、Prince Jammyはその楽曲をレコードにするかとても迷ったそうです。

そこで自分のサウンド・システムJammysで試しにその楽曲を流してみたところ、聴衆は大熱狂で会場は興奮に包まれたんだそうです。


それを観たPrince Jammyはすぐにその楽曲をレコード化し、販売したところWayne Smithの「Under Mi Sleng Teng」は大反響で大ヒットしたという事です。(それを機にPrince JammyはKing Jammyへと改名をしています。)


そしてそのヒットをきっかけにジャマイカの音楽界は一気にデジタル・レゲエの世界へと変わって行ったんだそうです。サウンド・システムにはそうした聴衆の反応を見るテストの場として使われる事があります。競争の激しいジャマイカでは、そのように発売に迷うような斬新な楽曲も、サウンド・システムの聴衆の生の反応から生まれて来るんですね。


また90年代になってからサウンド・システムで流行したのが、2台のターン・テーブルを巧みに操り次々とレコードをかけて行く「Jugglin(ジョグリン )」というスタイルです。

そうしたジョグリンをウリにしたサウンド・システムは、「Jugglin Sound(ジョグリン・サウンド)」と呼ばれ、90年代以降も人気を博しています。


Stone Love(ストーン・ラヴ)やRenaissance(レナッサンス)などがジョグリン・サウンドとしてよく知られています。


また2000年以降はサウンド・システムもデジタル化が進み、音響設備の整ったクラブなどの屋内施設での興行も増えた為、スピーカー・セットを持たずにパソコンを使って選曲するサウンド・クルーも登場し、サウンド・システムの世界も多様化して来ているようです。


またサウンド・システム同士が対決するサウンド・クラッシュはサウンド・システムが誕生した当時から行われていたが、今では世界中のサウンド・システムが集まって行う「ワールド・クラッシュ」などの世界大会が行われるまでに発展しています。


日本から出場したMighty Crown(マイティ・クラウン)やドイツやカナダのクルーが世界大会で優勝するなど、今やサウンド・クラッシュはジャマイカやイギリスに止まらず、世界的なイベントになるほどに発展を遂げています。


以上がサウンド・システムについてまとめたものですが、ジャマイカの音楽レゲエが世界的な音楽にまで発展した裏には、常に聴衆の声がダイレクトに届くサウンド・システムというものがあった事が大きな力になった側面があります。


80年代半ばにWayne Smithの「Under Mi Sleng Teng」が初のデジタル・レゲエの大ヒットとなりましたが、サウンド・システムはそうした聴衆の声を吸い上げるテストの場であり、新しいムーヴメントが誕生する瞬間を目撃出来る刺激的な場所でもあります。


新しい刺激をあなたも体験してみませんか?




Text Supported by teckiu


 

Upsetters® “The Product First” Tokyo Japan


2020年より世界のアナログレコード愛好家に向け、王冠をアイデンティティに持つユニークな”Product Art”(機能するアート作品)を発信開始。


アナログレコードのRe:ムーブメントをテーマに7inch/45回転レコードをフィーチャーし、一つ一つハンドメイドで製作された唯一無二のプロダクトアート作品。FounderであるJET氏が愛するJamaica音楽文化がコレクションに散りばめられた、"the Product First" 造形製品(作品)から開始される次世代へ向けたMade in Japan唯一無二のオリジナルブランド” Upsetters® ”はアイデンティティとして王冠を持つ。


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THINK TANK Tracks™️ 

次世代ダンスホールビート実験集団 THINK TANK Tracks™️ Tokyo Japan.

唯一無二なプロダクトアート/アーツアンドクラフト作品から開始されるブランド Upsetters®︎ ”the Product first” Tokyo。次世代への音楽を物理的な媒体で所持するといったアナログレコードのRe:ムーブメントをコンセプトとして、2020年よりアナログレコード愛好家に向け、王冠をフィチャーした45回転レコードアダプター造形作品や、Founder / ProducerであるJET氏の原点である、Jamaican音楽文化が随所に散りばめられたコレクションワークを多数発信。JETの呼びかけで結成された、レゲエをベースに唯一無二な次世代ダンスホールビートを製作する新進気鋭のビート製作チーム。


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