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#3 History of Jamaica"SKA"

今回はレゲエやロックステディ以前にジャマイカで聴かれていた、スカ(Ska)という音楽について書いてみたいと思います。


スカは1950年代に誕生した音楽で、もともとはリズム・アンド・ブルース(R&B)やブルースなどのアメリカ音楽に影響を受けた、2拍目と4拍目を強調したリズムが特徴の音楽です。


もともとジャマイカにはメント(Mento)というフォーク・ソング的な労働歌がありましたが、そうした楽曲は田舎では人気だったものの、キングストンなどの都会ではアメリカから輸入されたR&Bやブルースなどが好まれてよく聴かれていました。

都会で好まれたR&Bやブルースは酒場の経営者などが運営する野外ディスコのような「サウンド・システム」でよくかけられていました。


サウンド・システムでは酒場の経営者などが野外の広場などに設置した巨大なスピーカーで音楽を流し、踊りに来た人たちに酒やカリー・ゴート(山羊カレー)や酒などを売って収益を得ていました。そうしてサウンド・システムは人気となり徐々に競争が激しくなり、サウンド・クラッシュなどサウンド・システム同士の対決が行われたりして発展して行きます。


競争が激しくなるとどのようなレコードをかけているのか?お互い他に無い新しいレコードの仕入れ合戦となり、サウンド・システムでは仕入れたレコードをライバルに知られないようにレコードのラベルを剥がしたり、塗りつぶしたりしてレコードをかけるようになって行きます。そしてライバルに勝つ為にオリジナルのレコードを作成する業者も現れるんですね。そうしてアメリカのR&Bやブルースに似せて、ジャマイカ人のミュージシャンで作った音楽がスカとなります。


このスカは元のR&Bやブルースなどのアメリカ音楽よりも、2拍目と4拍目が強調されたリズムのアップ・テンポの裏打ちの演奏でした。

そうした音楽になったのはサウンド・システムの巨大スピーカーのセッティングが、踊り易さを考えてよりリズムを強調した重低音を重視したセッティングだった為だと言われています。


そしてそのスカはリズムを強調したR&Bやブルースのスタイルから、メントやナイヤビンギなどのジャマイカ音楽の要素も取り込み、さらにはジャズ系のミュージシャンなども入り込んで来た事から、ジャズのビッグ・バンドのような編成へと徐々に変化して行きます。


こうしてサウンド・システムのオーナーがレコード制作をするようになって、ジャマイカではレコードのレーベルが多く誕生するようになります。

その中でもスカという音楽の中心的な役割を果たしたのは、サウンド・システムThe Trojan(ザ・トロージャン)のオーナーのDuke Reid(デューク・リード)のレーベルTreasure Isle(トレジャー・アイル)と、サウンド・システムCoxsone Downbeat(コクソン・ダウンビート)のオーナーCoxsone Dodd(コクソン・ドッド:C.S. Dodd)のレーベルStudio One(スタジオ・ワン)でした。


この2つのレーベルはジャマイカの2大レーベルとして、その後のロックステディやレゲエの時代までジャマイカの音楽界をけん引して行く事になります。

また初期の録音はジャマイカで最古のレーベルFederal Records(フェデラル・レコーズ)のスタジオで行われていたようですが、その後この2つのレーベル共に自前のスタジオを持ち、そこで自分のレーベルのレコーディングや、貸しスタジオとしてレコーディングを行うようになります。(ちなみにFederal RecordsのスタジオはのちにあのBob Marley(ボブ・マーリー)に買い取られ、Tuff Gong Studio(タフ・ゴング・スタジオ)となっています。)


そうしてレコードを販売するようになった事でジャマイカの音楽界はますます発展し、スカのミュージシャンが育つようになります。


そしてスカはイギリスにも輸出されるようになります。

スカを輸入したのはEmil E. Shalit(エリル・E・シャリット)という人物が経営するBlue Beat(ブルー・ビート)というレーベルで、そのレーベルの名前からスカはイギリスで「ブルー・ビート」と呼ばれ、ジャマイカから移住した黒人層やモッズやスキンヘッドなどの不良少年達に人気の音楽となります。


ちなみにBlue Beatは1947年からレーベルを運営していますが、オーナーのEmil E. Shalitはあまり音楽に関心のない人で「レコードを売るのは芋を売るのと同じこと」という考えでスカのレコードを売っていたと言われています。

この頃のジャマイカは62年に独立するまでイギリス領で比較的輸出がし易かった事や、当時のイギリスが世界の中でアメリカに次いで音楽産業が盛んだった事などが、このスカの輸出を助けた側面があったようです。


このレーベルからの最初のスカのリリースはLaurel Aitken & The Boogie Cats(ローエル・エイトキン・アンド・ザ・ブギー・キャッツ)の「Boogie Rock(ブギー・ロック)」と、Byron Lee & The Dragonaires(バイロン・リー・アンド・ザ・ドラゴネアーズ)の「Dumplins’(ダンプリンズ)」、Higgs & Wilson With Ken Richards & His Comets(ヒッグス・アンド・ウィルソン・ウィズ・ケン・リチャーズ・アンド・ヒズ・コメッツ)の「Nanny, Oh(ナニー・オー)」の3枚のシングル盤だったそうです。

こうして始まったスカ(ブルー・ビート)の輸出はモッズやスキンヘッドなどのUKの不良少年の間で人気の音楽となり、ジャマイカの音楽産業はますます活発となります。


このブルー・ビート(スカ)の輸出で人気を博したのは前述のLaurel AitkenやByron Lee & The Dragonaires、Higgs & Wilsonのほか、Prince Buster(プリンス・バスター)やDerrick Morgan(デリック・モーガン)、Owen Gray(オーウェン・グレイ)、Clancy Eccles(クランシー・エクルズ)、The Blues Bustersな(ザ・ブルース・バスターズ)どが人気を博しました。


特にPrince Busterは「キング・オブ・ブルー・ビート」と呼ばれたほどの人気で、スクーターでライヴ会場に向かう際に、先導する親衛隊が付くほどの人気だったと言われています。


そうして人気の出て来たスカは60年代に入るとジャマイカ国内でもその人気は頂点に達します。その大きな要因として考えられるのが、音楽がイギリスへの輸出産業として確立し、レコードの制作が増えた事と、1962年8月6日のジャマイカのイギリス連邦からの独立です。


それまでイギリス領だったジャマイカの人々にとって独立は悲願であり、それを勝ち取った事でジャマイカは一気に明るい空気に包まれて、明るい音楽スカはそれを象徴する音楽としてジャマイカの多くの国民に大いに愛されたんですね。


このジャマイカの独立を祝う曲としてよく知られているのがDerrick Morganの「Forward March(フォワード・マーチ)」と、The Skatalites(ザ・スカタライツ)の「Freedom Sound(フリーダム・サウンド)」です。


Derrick Morganが明るく歌う曲と、The Skatalitesの華やかなホーン・セクションのメロディは、多くのジャマイカの人々に大きな希望を与えたんですね。

元々はアメリカのR&Bやブルースなどをかけていたサウンド・システムも、この時代になるとジャマイカの音楽スカをかけるようになって来ます。


この時代に活躍したミュージシャンは、先に書いたLaurel AitkenやByron Lee & The Dragonaires、Higgs & Wilson、Prince Buster、Derrick Morgan、Owen Gray、Clancy Eccles、The Blues Bustersのはか、歌手としてはAlton Ellis(アルトン・エリス)やLord Creator(ロード・クリエイター)、Jackie Opel(ジャッキー・オペル)、またヴォーカル・グループとしてはThe Wailers(ザ・ウェイラーズ)やThe Maytals(ザ・メイタルズ)、演奏者としてはサックスのBaba Brooks(ババ・ブルックス)、バック・バンドとして活躍したThe Skatalitesなどがよく知られています。


このスカの時代に活躍したコーラス・グループのひとつがThe Wailersです。

のちにBob Marley & The Wailers(ボブ・マーリー・アンド・ザ・ウェイラーズ)として世界的に知られるこのグループですが、この時代はバックはThe Skatalitesなど別のバック・バンドが担当し、コーラス・グループとして活動していました。


この時代にHiggs & Wilsonとして人気だったJoe Higgs(ジョー・ヒッグス)に指導されてデビューを目指しますが、当初はなかなかデビューさせてもらえなかったんだそうです。

その後Bob MarleyとPeter Tosh(ピーター・トッシュ:Peter Mclntosh)、Bunny Wailer(バニー・ウェイラー:Bunny Livingston)に加えて、女性シンガーのBeverley Kelso(ビヴァリー・ケルソー)とCheery Smith(別名:Cherry Green、チェリー・スミス)、男性のJunior Braithwaite(ジュニア・ブレスウェイト)の男女混成のコーラス・グループThe Teenagers(ティーンエイジャーズ)として結成し、The Wailing Rudeboys(ウェイリング・ルードボーイズ)、The Wailing Wailers(ウェイリング・ウェイラーズ)となり、最終的にThe Wailersに名前が落ち着いたんだそうです。


63年にJunior Braithwaiteがリード・ヴォーカルを取った「It Hurts To Be Alone(イット・ハーツ・トゥ・ビ-・アローン)」でようやくStudio Oneからシングル・デビューするものの、Junior Braithwaiteがアメリカに移住をしてしまった為に、代わりにリード・ヴォーカルを取ったのがBob Marleyだったんだそうです。


しかし64年初頭に「Simmer Down(シマー・ダウン)」がヒット・チャートの1位に輝く大ヒットをし、ようやく人気グループの仲間入りを果たします。

66年にBeverley KelsoとCheery Smithが脱退し、Bob MarleyとPeter Tosh、Bunny Wailerの3人組・コーラス・トリオとなった彼らはStudio Oneの人気コーラス・グループとなり、「One Love(ワン・ラヴ)」や「Put It On(プット・イット・オン)」など100曲以上をこのレーベルに残しています。のちにBob MarleyとPeter Tosh、Bunny Wailerの3人共にソロとしても活躍している事から、The Wailersと聞いてもあまりコーラス・グループというイメージが無いかもしれませんが、実はこのスカの時代のコーラス・グループThe Wailersはのちのジャマイカのグループのお手本にもなった、ジャマイカの最高のコーラス・グループのひとつでした。


このようにThe Wailersはスカの時代だけでも男性4人と女性2人の男女混成コーラス・グループで始まり、男性3人と女性2人の男女混成コーラス・グループとなり、さらに女性2人が抜けて男性3人のコーラス・グループという形に変化しています。

さらにはロックステディの時代以降は3人のコーラスに加えて、Bob Marleyがギター、Peter Toshがキーボード、Bunny Wailerがパーカッションで、Aston ‘Family Man’ Barrettがベース、Carlton Barrettがドラムというバンド形式のグループへと変化しています。

さらにレゲエの時代になり大手レーベルのIsland Recordと契約して以降は2枚目のアルバムまではThe Wailersとして活動していましたが、コーラスのPeter ToshとBunny Wailerが脱退し、バンド名がBob Marley & The Wailerとなります。


その後はThe Wailersという名称はAston ‘Family Man’ BarrettとCarlton BarrettのBarrett兄弟を中心としたバック・バンドの名前となります。そうした変遷を辿ったThe Wailersという名称の混乱を避ける為に、このスカの時代の3人組コーラス・グループとしてのThe Wailersを、「オリジナル・ウェイラーズ」と呼ぶ事があります。(またBob Marley & The Wailerは81年にBob Marleyが亡くなってグループとしての活動が終わっていますが、その後もThe Wailersというバック・バンドの活動は続いていて、アフリカン・レゲエのAlpha Blondyのバックや、近年でもAlborosieとの共演アルバムなどをリリースしています。

そうしたバック・バンドとしてのThe WailersをThe Wailers Band、あるいはThe Wailers Unitedなどと呼ぶ事もあります。)


またこの時代にStudio Oneのバック・バンドとして活躍したのがThe Skatalitesです。

サックスのTommy McCook(トミー・マクック)とRolando Alphonso(ローランド・アルフォンソ)、トロンボーンのDon Drummond(ドン・ドラモンド)、キーボードのJackie Mittoo(ジャッキー・ミットゥー)、トランペットのJohnny ‘Dizzy’ Moore(ジョニー・デジー・ムーア)、ベースのLloyd Brevett(ロイド・ブレヴェット)、ドラムのLloyd Knibbs(ロイド・ニブス)などから成るこのグループは、60年以降のスカの中心グループとして大人気でした。(The Skatalitesという名称はおもにStudio Oneでの演奏で用いられた名称でしたが、今ではTreasure Isleや他のレーベルでの演奏もThe Skatalitesという名前で呼ばれる事があります。)


このThe Skatalitesのメンバーの多くが、Alpha Boys School(アルファ・ボーイズ・スクール)の出身者であった事はよく知られています。


アルファ・ボーイズ・スクールは首都のキングストンにあるカトリック系の不良更生施設で、そこで音楽を学ばせる事で不良少年を構成させることが目的で設立された施設です。

The SkatalitesのトランペッターのJohnny ‘Dizzy’ Mooreは、隣りの家の少年が庭でドラムを叩いているのを見てどこでそれを習ったのか?と聞いたところ「アルファさ」と答えたので、あえて事件を起こしてアルファ・ボーイズ・スクールに入所したというエピソードを晩年のインタビューで語っています。

そのようにアルファ・ボーイズ・スクールは、多くのミュージシャンを志す若者の出発点となった場所です。


このアルファ・ボーイズ・スクールの講師を務めていたのが、当時ジャマイカ・ジャズのミュージシャンとしてThe Lennie Hibbert Combo(ザ・レニー・ヒバート・コンボ)などで活躍したLennie Hibbert(レニー・ヒバート)です。


彼はこの学校で、The SkatalitesのTommy McCookやDon Drummond、Lester Sterling(レスター・スターリング)などの他に、トロンボーン奏者のRico Rodriguez(リコ・ロドリゲス)やサックス奏者のFelix ‘Deadly Headley’ Bennett(フェリックス・デッドリー・ヘッドリー・ベネット)など、その後のジャマイカの音楽の発展に貢献したミュージシャンを多く育てています。


このアルファ・ボーイズ・スクールで育ったジャズの素養を持つミュージシャンがThe Skatalitesの中心メンバーだった事で、The Skatalitesというグループは必然的にホーンを中心としたジャズのビッグ・バンドのような形式となります。

そして元はR&Bやブルースなどの影響が強かったスカという音楽も、ジャズのホーン・セクションのスタイルを取り入れてより華やかな音楽へと変貌して行きます。

今の日本にも東京スカ・パラダイス・オーケストラのような華やかなホーンをメインにしたスカのグループがありますが、今多くの人が抱くスカのイメージはこのThe Skatalitesが作ったと言っても過言ではありません。明るく華やかなスカはジャマイカの独立と相まって、この60年代の時代のジャマイカを盛り上げました。


またジャマイカの音楽界にジャマイカのキリスト教から派生した土着宗教ラスタファリズムの思想を持ち込んだのは、このThe Skatalitesのメンバーだったと言われています。

キリスト教に黒人民族主義者のマーカス・ガーヴィ(Marcus Garvey)の思想を取り入れ、アフリカ回帰やマリファナ解禁、菜食主義などを唱えたラスタファリズムはこの時代ぐらいから徐々にジャマイカの黒人層に浸透し、信仰する人が増えて行ったようです。

このラスタファリズムは70年代のルーツ・レゲエの時代に、ミュージシャンの思想的基盤として華開きます。

このThe Skatalitesというスカの代名詞のようなバック・バンドは数多くのバックの演奏とインスト曲を残しましたが、意外と活動歴は短く1963年から66年までの4年に満たない期間でした。(なおこのバンドは元メンバーによってその後も何度も再結成され、そのメンバーによるスカ以降の時代のThe Skatalites名のアルバムもけっこうリリースされています。)その解散の原因となったのが、The Skatalitesの中心メンバーだったトロンボーン奏者のDon Drummondが精神に異常をきたし、恋人だったAnita ‘Marguerita’ Mahfood(アニタ・マルガリータ・マンフレッド)を殺害してしまった事だそうです。

(Don Drummondはその後69年に獄死しています。)

スター・プレイヤーだったDon Drummondが居なくなった事でThe Skatalitesは自然消滅のような形で解散し、それと共にスカの時代の終わってしまいます。

そして66年頃からはアップ・テンポのスカに変わってスローで甘いメロディを特徴とするロックステディの時代へと、ジャマイカの音楽界は変化して行きます。


こうして50年代から66頃まで人気のあったスカという音楽ですが、その後の世界各国で音楽ジャンルとしてとても人気があり、何度もリヴァイヴァルされてブームが起きています。


その代表的なスカのリヴァイヴァル・ブームが、70年代後半のイギリスで起こった「2トーン・ブーム」と呼ばれたネオ・スカの大ブームです。(それらのバンドのレコードの多くがUKの2 Tone(ツー・トーン)レーベルからリリースされた事から2トーン・ブームと呼ばれました。)その中心となったグループがThe Specials(スペシャルズ)です。


リード・ヴォーカルに白人のTerry Hall(テリー・ホール)と黒人のNeville Staple(ネヴィル・スタプル)を揃え、リーダーに白人キーボード奏者のJerry Dammers(ジェリー・ダマーズ)、ゲスト・プレーヤーとしてトロンボーン奏者のRico Rodriguezを招いた白人と黒人の混成のこのグループは、60年代のスカと当時流行していたパンクを合わせたようなサウンドで、79年にファースト・アルバム「Specials」でデビューし、「A Message To You Rudy(メッセージ・トゥ・ユー・ルーディー)」などのヒット曲でネオ・スカの大ブームを引き起こします。


その後81年にアメリカで「Ghost Town(ゴースト・タウン)」を大ヒットさせるなどの活躍を見せますが、同年に解散しJerry Dammers を中心としたThe Special AKA(ザ・スペシャル・アー・ケー・エー)とTerry Hall を中心としたFun Boy Three(ファン・ボーイ・スリー)に分裂しています。


この2トーン・ブームはスカとパンクを融合したようなサウンドが人気で、スカ後のブームの中でも最大のムーヴメントとして記憶されています。

他にこの2トーン・ブームで活躍したバンドとしては、ホンダのCMなどで日本でもよく知られたMadness(マッドネス)や、The Selector(ザ・セレクター)、The Beat(ザ・ビート)、Bad Manners(バッド・マナーズ)などがよく知られています。


またこの2トーン・ブームのデザイン的な大きな特徴ですが、当時は白黒のモノクロ・ジャケットでモノクロの写真と白黒の市松模様のラインのデザインが大きな特徴でした。

2トーンという名称もそうですが、おそらく白人と黒人、スカとパンクという2つの事を意識したデザインだったのではないかと思われます。

他にネオ・スカのグループとしては、日本の東京スカ・パラダイス・オーケストラやスカフレイムス、UKのThe Trojans(ザ・トロージャンズ)などが有名です。

以上がスカという音楽の歴史です。

この時代はまだジャマイカの音楽産業が始まったばかりで、まだ音楽的な基盤が脆弱だった為かDon Drummondの殺人事件がきっかけであっけなくスカの時代が終わってしまったのはとても残念な事ですが、こうしたスカの成功がジャマイカの音楽産業を活性化させ、のちのレゲエの世界的なブレイクに繋がった事は間違いがありません。

聴いてみると解りますが、スカという音楽には何か心をウキウキと湧き立たせるような不思議なエネルギーがあります。

時にそうした音楽に浸りきってみるのも、また音楽の楽しみではないでしょうか。



Text Supported by teckiu


 

Upsetters® “The Product First” Tokyo Japan


2020年より世界のアナログレコード愛好家に向け、王冠をアイデンティティに持つユニークな”Product Art”(機能するアート作品)を発信開始。


アナログレコードのRe:ムーブメントをテーマに7inch/45回転レコードをフィーチャーし、一つ一つハンドメイドで製作された唯一無二のプロダクトアート作品。FounderであるJET氏が愛するJamaica音楽文化がコレクションに散りばめられた、"the Product First" 造形製品(作品)から開始される次世代へ向けたMade in Japan唯一無二のオリジナルブランド” Upsetters® ”はアイデンティティとして王冠を持つ。


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次世代ダンスホールビート実験集団 THINK TANK Tracks™️ Tokyo Japan.

唯一無二なプロダクトアート/アーツアンドクラフト作品から開始されるブランド Upsetters®︎ ”the Product first” Tokyo。次世代への音楽を物理的な媒体で所持するといったアナログレコードのRe:ムーブメントをコンセプトとして、2020年よりアナログレコード愛好家に向け、王冠をフィチャーした45回転レコードアダプター造形作品や、Founder / ProducerであるJET氏の原点である、Jamaican音楽文化が随所に散りばめられたコレクションワークを多数発信。JETの呼びかけで結成された、レゲエをベースに唯一無二な次世代ダンスホールビートを製作する新進気鋭のビート製作チーム。


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